「時と場合によっては嘘が必要なときもある」(故事ことわざ辞典より)
嘘をつくのはよくないことでしょう。
しかし厳密には嘘が悪いのではなく、それが相手の不利益に結びつくから悪いのです。
真実も嘘も、大切なのはその意図や目的である
必ずしも真実が役に立つとは限らないと思います。
例えば「諦めなければ夢は実現できる」という類いの言葉
殆どの夢には人数制限がありますから、これは論理的に破綻していることが多いです。
具体的には、プロ野球選手には全球団合計約950人という人数制限があります。
ですから、どんなに努力家で才能のある子供がプロ野球選手を夢見ても、
約950人という人数制限以上の子供が夢見れば、必ず夢が叶わない人が現れます。
同様に日本全国の学生が東大合格を夢見ても、絶対に定員以上の合格者はでません。
そんな風に、人数制限付きの夢というものが世の中にはたくさんあるのです。
しかしです
言葉の正しさはその背景、特に意図や目的に依存します。
もし子供に無謀な努力や練習を止めさせたいのなら、
「夢は叶えられる」という言葉の嘘を、現実を伝えるのも一興でしょう。
しかし、子供に目先の練習を精一杯頑張って欲しいなら、希望を持って欲しいなら、
「夢は叶えられる」という嘘は子供に大きな力を与えてくれます。
ましてそれが有名選手の言葉なら尚更。真実より嘘の方がよっぽど役に立つのです。
嘘かどうかはわかりませんが、宗教の教えにも同様の性質があると思います。
例えば「山を荒らすと山の神様が怒るからやめなさい」という信仰。
神の存在証明はさておき、「過度な森林伐採による土砂災害の防止」を目的とした際、
土砂崩れの物理学的メカニズムを一から村民に勉強させるよりも、
理解の容易な信仰を用い、村民の行動統制を図った方が簡単で効果的でしょう。
神様はどこから見ているかわかりませんから、隠れた村民の行動も統制できますしね。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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