自然淘汰 - 歴史という結果論が教えてくれる正しさ -

結果的にそれがより正しく、より環境に適していたから現在まで残っている。

自然淘汰とは

壮大な歴史の結果として現在の形がある

 

「キリンはなぜ首が長いのか」という質問に対し、広く知られている説明は

「高い所にある植物を食べるため」や「周りを見渡しやすくするため」です。

 

しかし、生物学的にはこの説明はあまり一般的ではありません。

首の短い個体は生き残れず、首の長い個体は生き残って子孫を残せたから」という

自然淘汰(自然選択 / 適者生存)に基づいた説明が、有力説とされています。
 

つまり、先の「高い所にある植物を食べるため」や「周りを見渡しやすくするため」

といった説明はあくまで自然淘汰の結果に対する後付けの理由や推測であり、

首の長短は様々な個体がいたが、より首の長い個体同士が子孫を残し続けた結果、

より首の長い個体のみが“キリン”として現在に生き残った」というのが本質です。

 

で、この自然淘汰、人間社会も決して例外ではないと思うんですよね。

ただし今回言いたいのは個体の…ではなく、文化・思想の自然淘汰です。

 

現存する文化や思想は自然淘汰の結果として存在している

 

のであり、結果的にそれがその時代その環境において正しかったから残ったのです。

例えば宗教。「なぜ世界には特定の宗教を信仰する文化圏ばかりが存在するのか」、

それは「特定の宗教を信仰しない文化圏も存在したが、生き残れなかったから」です。

 

自然淘汰は個人の考えなど到底及ばない、歴史という名の壮大な実験の結果であり、

ある意味それまでの歴史が導き出した答えが現在に残っているのだと思います。

 

 

自然淘汰の結果という大いなる知恵は決して軽んじていいものではありません。

が、時代と共に背景となる環境が変われば正解も変わることも忘れてはいけません。

 

確かにこれまでは男性中心の社会が世界の、自然淘汰の結果だったかもしれませんが

だからと言って昨今の男女平等の流れを否定するのは少々暴論でしょう。

男女平等の社会は新たなスタンダードになれるのか、自然淘汰は始まったばかりです。

 

 

 

今ここからの光景は、こんな感じ。

 

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