どんなにいいボールを投げても、相手にその気がなければキャッチボールにならない。
- その場所にいるときは、その場所のルールに従うこと。 英語では“When in Rome,do as Rome does”と言う。 続きを読む
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人は言葉で会話していない
郷に入っては郷に従うべき理由は、主に二つあると思います。
一つは「相手の世界の理解に徹する期間を確保するため」です。
相手の世界が正しいのかどうかは、相手の世界の正しい情報がないと判断できません。
そして知識というのは、行動が伴ったものでなければ無知と同じです(知行合一)
このため、相手の世界を理解するためには相応の時間を要する訳ですが、
人は無知なときにこそ知ったような口を利きがちです(ダニング=クルーガー効果)
こうした不要のトラブルを避けるために「いいから黙って従え」と戒めるのが一つ目。
もう一つは「その過程で信頼関係を構築するため」です。
「会話は言葉のキャッチボール」なんて言いますが、それはつまり
信頼という土台がなければそもそも会話は成立しない
ということです。
一字一句同じ言葉を投げても、発言者が嫌われているとキャッチすらしてもらえず、
逆に発言者が好きな人なら好返球をしてくれる…なんてよくある話かと思います。
だから郷に入ってすぐに無知をさらし「何もわかってねぇなぁ…」と思われてしまうと
まともな会話すら困難であり、まずは土台たる信頼関係の構築が重要なのでしょう。
英語圏にも似たことわざがあるとはいえ、グローバル化が進んでいる今、
『郷に入っては郷に従え』が果たしてどれほど実情に即しているのかについては
議論の余地があるかもしれません。
しかし、意思疎通の本質は言葉でなく信頼関係であり、論理は枝葉末節であること、
そのために『守破離』の如くまずは黙って従うなど、学ぶべきことはあると思います。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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多くの場合、論理は後付けであり枝葉末節でしかない
相手を変えるのではなく、相手が相手の意思で自発的に変わるだけ