最善の模索、それはド近眼な人間が最も高い山の頂を目指すが如し
下ることを恐れていては高みに辿り着けない
「正確性や…!専門性なぞ…!どうでもよいのだァーッ」という説明をすると
上の図のような状況で、足下しか見えないド近眼の人が
最も高い山の頂(C地点)へと辿り着き定住するためには、どんな戦略で動けばいいか
という問題に対し、
なに?ただ登るだけではA,B地点のようなドツボにはまってしまって抜け出せない?
それは無理矢理「目先の高い方へ登ろう」とばかり考えるからだよ
逆に考えるんだ「初めのうちは下っちゃってもいいさ」と考えるんだ
…と考えたのが『焼きなまし法』、別名『シミュレーテッドアニーリング(SA)法』で
ジョースター卿の教えを金属が冷え固まる際の原子の動きを模倣した手法です。
さて、この問題やこの考え方って、現実社会でも同じだと思うんですよね。
改悪を恐れ、若い頃からただ賢く生きようと(登ること)ばかり考えていると、
視野が狭くなり、こぢんまりとした結果(A,B地点)に陥りやすいと思います。
また、実際は時代や環境の変化によって山の地形は常に変化していて、
C地点に到達して満足していたら、いつの間にかA地点が隆起して高さが逆転していた
…なんてことも、歴史を見ても決して珍しくないと思います。
この時、目先の改悪を恐れていては時代錯誤なC地点から脱出できません。
既存の在り方に適応して色んなものが形を合わせて来たのだから、
新しい山の頂(A地点)への移行を想定すると、既存の形が合わないのは当然です。
例え低い山であっても、頂の周囲は下り坂ばかりです。
目先には下り坂しか見えなくとも、現状にばかり固執せず(株を守りて兎を待つ)
その先にはより高い頂へと続く上り坂がある可能性を忘れてはならないと思います。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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