「あまり深く考えすぎると、かえって失敗する」(故事ことわざ辞典より)
結論は先に決まっていて、それを時に隠し、時に補強するために理屈を後付けする。
それは、必ずしも間違った行為ではないと思います。
言葉にならない直観を軽視してはならない
考え事をしていたとき、目の前がぱぁっと明るくなる様なひらめきが舞い降りる。
ところがいざそれを他人に話し、実現に向けて議論を煮詰めていくと、
いつの間にか当たり障りのない、しょーもない案へと陳腐化してしまっている。
…そんな経験はないでしょうか?
勿論、ひらめいた当初は気付かなかった欠点が明るみに出ただけで、
元々大した案ではなかったのに錯覚していただけ…というケースもあるでしょう。
しかし、ひらめいた案を他人に伝えるため言葉にした際に情報劣化が発生し、
議論を煮詰めていく過程で、魅力の核たる部分が知らぬ間に削り落とされてしまう。
そういうケースもまた、少なからずあると思うのです。
本来人間の思考は決して言葉だけに依存していません。
「ラーラーラー ララーラー 言葉にできない♪」…って歌もそう言ってますよね
いわゆる論理的思考は言葉で考える思考であり、
制御も容易で堅実な思考である反面、その世界の広さには限界があります。
対する言葉にならない思考が直観的思考であり、
制御は難しく把握や説明が難しい反面、その包括する世界はとても広い。
アインシュタイン「知識には限界がある。想像力は世界を包み込む。」
人は先に結論を決め、その補強として論理を後付けすることもあると思います。
しかし、その思考過程は必ずしも間違いだとは思いません。
例え言語化が難しく、議論すれば論破されてしまうことがあろうとも、
結果的には最初に浮かんだ直観が最も正しく、
まさに『分別過ぐれば愚に返る』だった…なんてこともありますから。
今ここからの光景は、こんな感じ。
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必ずしも論理の先に結論はない。相手を論破しても、相手の直観は否定できない。
未来予知のような未知の事象にこそ、直感の重要性は光る