「百回聞くより、たった一度でも自分の目で見た方が確か」(故事ことわざ辞典より)
この言葉、一説には『百聞は一見に如かず』の後に『百見は一行に如かず』と続き、
行動の重要性を説いた言葉でもあるそうです。
が、この記事で言及したいのは、言葉という意思疎通ツールに対する戒めについて。
言葉の持つ情報量は如何程か
あまりに有名な絵画故、殆どの方がご存知だとは思いますが
『モナ・リザ』
(レオナルド・ダ・ヴィンチ作)
例えばこの絵画の全容を、その魅力を、
この絵画を見たことも聞いたこともない人に、言葉だけで伝えられるでしょうか?
はっきり言って無理でしょう。
十中八九「とにかく一度実物を見てくれ!」というオチになると思います。
「絵画を何百万という画素に分解して一つの画素ごとのRGB値(色)を順に伝え、
それを再構築してもらうことで高画質のデータ通信を人力で再現する」
などという「伝わればよかろうなのだァァァァッ!!」的な力技も一応ありますが、
それだと「何百万聞は一見に如かず」となりかねず、もはや不可能に近いでしょう。
不幸中の幸い、『モナ・リザ』なら文字通り一度見てもらえればそれで済みます。
しかし、伝える対象が正確に可視化できない思想や経験となるとそうはいきません。
言葉は間違いなく人類の偉大な発明品だと思いますが
私達の見ている世界と比べ、言葉の情報量は非常に小さい
という事実を忘れ、その力を過信してしまうと痛い目に合うかもしれません。
自分以外の他者の何かを理解しようとすることはつまり、
伝言ゲームで得た文字情報から自分なりに『モナ・リザ』を描き上げる行為に等しい
のですから。
今ここからの光景は、こんな感じ。
関連記事
だから経験の伴わない、文字情報から得た知識など無知に等しい
百聞は一見に如かず、百見は一験に如かず。しかし、百験も真理とは程遠い