認識

燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや - 自分と他者、燕雀なのはどちらか -

「小人物には、大人物の考えや大きな志などがわからない」(故事ことわざ辞典より) この言葉、自分と他者のどちらが燕雀(小人物)でどちらが鴻鵠(大人物)なのか、 その捉え方によって意味合いが大きく変わってくると思います。

麻雀 - 確率論で構成される世界 -

『麻雀』というゲームは、世界の単純化モデルとして非常に優れていると思います。 麻雀とは マージャン 【麻雀】 〔中国語〕中国起源の室内遊戯。牌(パイ)を用い、普通、四人で行う。牌は直方体で、数牌三種の一〜九までと、字牌の三元(白板(パイパン)…

環世界 - 自分の世界基準で他者を捉えていないか -

「すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きている」(cf.Wikipedia) ヤーコプ・ヨハン・フォン・ユクスキュルが『生物から見た世界』で提唱した概念。 動物は皆客観的な世界ではなく、主観的に創り上げた『環世界』で生きている。

主成分分析 - 認識は少なからず情報劣化の産物である -

「(前略)に変換するための数学的な手続きのことである」(cf. Wikipedia) こんなサイトで難解な数学の専門知識に厳密な言及しても誰も得しないと思うので、 あくまで『主成分分析』という漠然とした“ものの捉え方・考え方”についての話。

豚に真珠 - 哲学は世界を視る眼である -

「値打ちがわからない者にはどんな価値あるものも無意味」(故事ことわざ辞典より) 数々の問題の答えやヒントはどこか遠い、特別な場所にある訳ではなく、 すぐ近くの足下に、そこら中に石ころのように転がっているものなのだと思います。

魚は殿様に焼かせよ、餅は乞食に焼かせよ - 優劣は本質ではない -

「仕事には適不適があるものだから、適任者を選べ」(故事ことわざ辞典より) 人と異なることを恐れていては、人より大きく優れることは難しい。 しかし、人と大きく異なっていても、それが優劣どちらに転ぶかはわからない。

影響の輪,関心の輪 - 眼前の事柄を正しく識別できているか -

「影響の輪にエネルギーを集中できる人こそが主体性を高められる」cf.)『7つの習慣』 関心の輪:自分が関心を持っている事柄のうち、自分がコントロールできないもの*1 影響の輪:自分が関心を持っている事柄のうち、自分がコントロールできるもの *1:厳密に…

守破離 - より深く理解するためにこそ教えを破れ -

1. 守 : 例え「師の教えが間違っている」と思っても、師の教えを守る 2. 破 : 師の教えをある程度習得したら、今度はその教えを破る(他流派を学ぶなど) 3. 離 : 「1. 守」「2. 破」で学んだことを踏まえ、自己流へと離れて行く 守破離とは □ビジネス分…

足るを知る者は富む - 自身の欲望の際限なさを知る -

「満足を知る者は、貧しくとも精神的に豊かで幸福である」(故事ことわざ辞典より) 平和で、自由で、衛生的で、文化的で、自然に恵まれ、経済大国の現代日本。 見る人から見れば、この国は本来、既に十分楽園たりうるはずです。

禍福は糾える縄の如し - 不幸なくして幸福は定義できない -

「幸福と不幸は表裏一体で、かわるがわる来るものだ」(故事ことわざ辞典より) そうして、幸福も不幸も長くは続かない。 それは信仰の類いなどではなく、しっかりとした理由があると思います。

魚の目に水見えず人の目に空見えず - 自分の目を疑え -

「あまり身近にあるものは目に入らず、ありがたみもわからない」(JLogosより) 人間の認識や評価は相対性に基づいて創り上げられる。 それはつまり、相対性に乏しい対象は認識が難しいということでしょう。

人間は万物の尺度である - 相対性が創り上げる世界 -

「すべての判断の基準は、個々人に属する」(コトバンクより) 人間の認識はアテにならない。 しかし、心によって創り上げられる架空の世界にも、法則性はあると思います。

理屈と膏薬はどこへでもつく - 論理は正しさを保障しない -

「どんなことにも、もっともらしい理屈がつくものだ」(故事ことわざ辞典より) つまり「論理や大義名分が伴わない間違いや暴挙など存在しない」 …と言ってしまっても過言ではないのだと思います。

コペルニクス的転回 - 誰一人として同じ世界は見えていない -

人間は皆と共通の世界で生きてなどいないのでしょう。 コペルニクス的転回とは 天地がひっくり返るくらいの展開が起こること、またその様 関連キーワード パラダイムシフト 続きを読む このキーワードを含むブログを見る

色即是空 - 真理は認識できるか -

「この世の全ての本質は空(実体がなく空虚)である」は過言かもしれません。が、 色即是空とは 事象や現象はすべて仮の姿で、実体なきものであるということ。 仏教語で「色」はすべての事象や現象を意味し、「空」は「無」でも「有」でもなく「ゼロ」を指す…